遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

ロストワンの傍白

父親の機嫌が悪い。リビングで何かと声を荒げる。数日ぶりに風呂をいれたのだが、それを見た父親は「もったいない」とひとりで怒っていた(私は風呂の湯をなみなみといれるのが好きなのだ)。数日ぶりの風呂なので許して欲しいんだけどなあ。

数年前まで、我が家において父親の機嫌は命取りだった。部屋がニンニク臭いというだけで隣家に響くほどの大声で怒鳴り散らす。近所から何度か苦情が来たこともあった。母親は、昔、父親を怒らせた時にゴルフクラブを投擲されたらしい。手を挙げると警察や児相沙汰になるのでやらない悪質犯。とんでもない暴力男だ。

今でこそ面と向かって怒鳴られなくなったが、父親の顔を伺うのが私の昔からの習慣となっており、父親の機嫌が悪いと生きた心地がしない。もし少しでも父親の意に従う気がないと見なされれば力ずくで脅されていたので(目の前で携帯ゲーム機を壊される、ランドセルを壊される、泣いて失禁しても怒鳴られ続けるなど枚挙に暇がない)、父親の怒りを無視するという選択肢は私にないのだ。

父の激怒はイヤイヤ期の幼児が駄々をこねるのと本質的には変わりない。が、大の男が本気で駄々をこねて怒れば家庭は焦土と化すし、子供は命惜しさに服従せざるを得ない。他の家族は父のことをゴジラと呼んでいた(そして最近では恋人もこの徒名を用いる様になった)。

この場からいなくなりたい。いなくなればビクビクせずに済むから。そう、私はビクビクするのが嫌なのだ。自殺は毒親から解放されるための(手軽で安易な)手段でもある。

早くいなくなりたい。

 

虐待を受けた人は、虐待を受けていない人に比べて、脳のある部分が収縮しているらしい。ダメージを受けた脳は後にリカバリーできるのだろうか(脳機能は28歳まで成長できるらしいからワンチャンあるか)。

カウンセラーには「つらかったろうけど、過去は過去だよ」と言われている。が、私の中で虐待されていたことはまだ過去になっていない。つらいことがある度に、虐待されていたことを思い返して、更に傷付く、悲しむ、親を恨む。治りかけのかさぶたを剥がす様な行為だとわかっていてもやめられない。

 

自分のことを、不運でも不幸じゃないと思いたい。不幸じゃないと思える様になりたい。可哀想がる・可哀想ぶるのをやめたい。

全部過去になればいい。早く。

家族に絶望しているので、絶縁したい。どこか遠いところへ行って、好きな人たちを家族にして、細々と暮らしたい。