遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

肉体についての近況報告

最近、実年齢が体年齢に追いついた。このまま体年齢と共に年を重ねていくのか、それとも体年齢は年をとらずに済むのか、はたまた急激に老け込むのか、定かではない。

体重は50キロを切った。正月からこっち、昼前まで寝て、ドーナツだのシフォンケーキだのを自作して食べ、一日中部屋から出ずに生活しているのに、だ。

全盛期から体重は15キロ程度落ち、体脂肪率は4パーセント減った。まだまだ体脂肪率が高いから努力せねばならないが、顔だけでなく肉体も美人と言われる日が来るかもしれない。

ま、来月にはまた働き始めるのでどうせまた痩せるだろ(怠惰)。

ドキドキ!死者蘇生クッキング☆

残念なことに、これまでの人生において貧困と縁が切れた試しはない。幼少期から幾度も餓死の危機をおぼえ、山で採ってきた山菜などで食いつないできた。

そのため、食に関して並々ならぬ執着がある。色気より食い気。私がほぼ毎日台所に立つのは、単純に食い意地が張っているからだ。

 

貧乏性と調理技術。出会ってはいけない2つの要素が大恋愛した末に誕生するのは、賞味期限切れの食材を活かした魔の料理だ。私はこれを死者蘇生クッキングと誇称している。

私にとって賞味期限は絶対的な価値基準ではない。信じるのは己の舌と長年の勘、そして自らの肉体の鈍感さ・頑強さのみである。

 

死者蘇生クッキングの肝は、味をどう誤魔化すかにある。生物なら水で表面を洗い流し、スパイスを使って火に通せばまぁイケる。

市販のカレー粉や唐揚げ粉、マヨネーズは心強い味方だ。初心者ネクロマンサーでも簡単に味をごまかすことができる。

私くらいになると、ローズマリーオレガノオールスパイスで臭いをかき消し、賞味期限が一週間以上切れた魚の切り身をフライにして美味しくいただいてしまう。夜な夜な食中りでトイレに起きないか、我ながら不安ではある。

 

この世の摂理に抗う蛮行。貧乏性とガストロノミーの危険な恋愛。両津勘吉が調味料と調理技術を手に入れたらきっとこうなるだろう。

決してオススメはしない。どなたかがこの記事に影響されて健康を害したとしても、私は責任をとりかねる。あしからず。読者の諸君の健康を心から願う。

わたしとドーナツ

最近ドーナツ作りにハマっている。特に理由はない。強力粉とホットケーキミックス(本来は薄力粉を使うのだが)の割合の調整が難しい。強力粉だけで作ると、揚げた時に外側が硬くなりやすい。ホットケーキミックスや薄力粉だけで作るとさっくり軽い食感になるが、個人的にはもちもちとした食感の方が好みだ。故に、かじった時はさっくりと、奥歯で咀嚼する時はもちもちと……なんて夢のドーナツを作るには、強力粉と薄力粉(私の場合はホットケーキミックスだが)の配合が肝要なのだ。

揚げる時の温度も肝要だ。唐揚げなどはさっくりした食感を求めて高温で揚げがちだが、ドーナツの場合は高温だと揚げ過ぎになりがちで、下手をすると黒こげになってしまう。比較的低温で、様子を見ながら揚げなけれぱならない。

いずれにしろ、イースト菌で発酵させて作るので、パン作りのノウハウが役に立っている。発酵が不十分だったり、焼き具合が足りないと、食べた時に生臭い臭いがする。

そして、パンが焼ける時の香ばしい香りには、僅かなアルコール臭も混ざっている。イースト菌が発酵した時に発生するアルコールが熱せられることにより揮発し、小麦粉が焼けた時の匂いと混じり合って、あの独特の香ばしい香りとなるのだ。

いずれにしろ、パン作りは経験が物を言う。焼き加減を見極めるのはもちろん、その日の室温や湿度によって水加減や発酵のペースを見極めねばならない。毎日パンを作っていればそのうち慣れてくるものだが、少しでもパン作りから離れればすぐに勘は鈍ってしまう。私なんかは、同じ手順で作ってもクオリティが安定しない(食するのに問題ないレベルの差ではあるが、僅かに味に違いが出てしまう)。

子供の頃、保育園で出されたドーナツが大好きだった。揚げたてで、子供の歯でも食べられるくらいに柔らかいのに、もちもちとしていておいしかった。イースト菌で発酵させていたのか、ベーキングパウダーやショートニングを使っていたのか……今となってはわからないが、いつも同じクオリティのおいしいドーナツをおやつに出していた調理師さんはすごい。

子供の頃に食べた思い出の味を目指して、精進するのみである。

ほろよい一缶飲み干したら死にかけた話

※はじめに

不穏なタイトルに商品名が登場しておりますが、発売元のサントリーおよびこの商品を貶める意図はまったくございません。ほろよいはおいしいチューハイです。お酒はほどほどに。

 

 

先日仕上げた案件とは別に、ロゴタイトルを作ってほしいという依頼が来た。前回から立て続け、しかも締切が極端に短かったが、引き受けた。

朝からコンサータを二錠服用し、十時間以上ほぼぶっ続けて作業する。朝食はしっかりとるが、昼食はおざなり、夜は疲れ果てて食欲がないので何も食べずに寝る。二日目も同じ様な感じで作業し、16時頃にようやく一段落ついたところで、母親と部屋の清掃。二時間の重労働(何せ足の踏み場がない状態だったのだ)を終えるも、リテイクを食らい、結局眠ったのは0時頃。またも夜はほとんど何も食べずに薬だけ胃に放り込んでいた。

翌日は10時間以上眠ったが、疲労はとれていなかった。朝食に牛丼を食べ、前日に約束していた通り、母と13時からカラオケに。そこで炒飯や唐揚げやらを食す。時間に余裕があったが、疲労がひどかったため、16時に切り上げ。17時に帰宅し、二時間ほど眠った後に、友人とLINEで二時間談笑。そしてその後、今度は恋人と一時間ほど通話し、一時に就寝。

起きたのは9時過ぎのこと。仕事は落ち着いたし、疲労している自覚があったので、ゆっくり自分を甘やかそうと決意。恋人と通話して、出かける彼がいなくなった後で、祝杯でもあげるかと冷蔵庫からチューハイを取り出した。それが悪かった。

 

録画していた鉄腕!DASH!!を見ながら、白米とローストチキンを貪りつつ、ほろよい(桃味・アルコール度数三パーセント)を一缶あけた。飲み始めてから飲み終わるまではおよそ一時間。

水を飲もうとふらっとソファーから腰を上げ、シンクにたどり着くまでおよそ十数歩。立ち上がったことと、動いたことにより、一気に酔いが周る。蛇口からマグカップに注いだ水を飲み下した瞬間、急速に意識が遠のいた。「あっ、ねむい、寝よう」そう思い、体から力が抜ける。次の瞬間、ばたーんと床に倒れ込んだ。血の気が引くというか、寒気がする。肌寒い。吐き気に襲われ、とっさに近くにあったバケツに吐いた。気持ち悪い。体の感覚が薄い。意識障害が起きている自覚はあったので、しばらくそのまま床に横になっていたが、今度はお腹が痛くなってきた。這う這うの体で何とかトイレに行き、惨事を免れる。が、トイレに座ると頭の位置が高くなったためか、血の気がどんどん引いていく。またも吐き気をおぼえ、何とかトイレットペーパーの包装の袋の中に嘔吐する。そんなことを何度も繰り返した。

嘔吐と下痢をこらえながら、冷たいフローリングに横たわっている時。朧な意識の中で、「このまま死ぬのかな……」と思ったが、吐瀉物や排泄物にまみれながら死ぬのだけは嫌だった。いや、今までに首吊りや飛び降りなど、綺麗に死ねない自殺方法ばかり試そうとしてきたくせに何を今更といわれても仕方ないが、いくら何でも自宅で急性アルコール中毒死というのは情けがないので。

結局、散々トイレのお世話になったところで、友人に助けを求め、アクエリと栄養ドリンクを恵んでもらう。父が帰ってくる前に、吐瀉物を処理し、ほろよいの缶を捨て、証拠隠滅。父には体調不良とだけ連絡し、心配した母が駆けつけ、ちょっとした騒ぎに。以降、18時から23時まで眠っていた。

 

一方その頃、恋人は教え子に「ゲテモノ食いだから女の趣味が悪いんじゃないですか?」と言われていたらしいが……残念ながら反論する言葉がない。奇跡的に美少女(?)に生まれただけで、来世はクモかな? ムカデかな?

当分酒は控えます…

手帳チャレンジ成功✌

昨日、同人誌のデザインの依頼を終えた。メンタル的に絶不調で、朝5時の時点で表紙しかできていない状態だったが、何とか背表紙と裏表紙を作り上げて納品した。たった数時間で背表紙と裏表紙を作り上げた私えらい!(そもそも締切にゆとりのある納品を目指せ)

 

今日はひたすらFGOをやっていた。イベントをサボっていたので頑張って周回しているが、スカディシステム(未完成だけれど)を使っても効率が悪い…

午後から役所に行き、無事念願の障害者手帳をもらった。お役所仕事だからてっきり交付は年明けになると思っていたが、案外早かった。職員さん、お疲れ様です。

 

そして、先ほど未払いの賃金(スナックのアルバイトをしていたが給料をもらえていないのだ)について、労働基準監督署に相談した。文書で催促しろとのことだったので、その手のことが得意そうなお友達に依頼して文書のファイルを作っていただくことになった。お友達は、パワーポイントやワードで同人誌の表紙を作成する強い女史である。フォトショップは使えてもワードが苦手な私にとってこの上ない味方だ。女史にはまた同人誌の表紙を無償で作成することで報いようと思う(彼女さえよければ、だが)。

 

母親から鶏を丸々もらう。来週辺り、ローストチキンでも作ろうかな。ローズマリーを買わなければ。

自分の感受性くらい

※追記

カウンセラーに相談したところ、『愛情の対象が父親から恋人にシフトする中で、揺り戻しが起きている。不安定な状態になるのは一時的なことで、安心できる環境に身を置けば自然と攻撃的・不安定な心理は落ち着いていく』とのことだった(詳しくはまた記事にする)。

よってこのエントリはただの世迷い言として読んで欲しい。

 

 

昨日から、断続的に五時間ずつくらい眠っている。三回ほど眠って、三回とも夢に恋人が出てきた。

一回目は恋人が私を迎えに来てくれる夢。二回目は、関係が悪化している現状を誠心誠意謝ったら簡単に許してくれて、また前みたいに仲良しに戻れる夢(実に自分勝手な夢だ)。

三回目は、よくわからない。ほとんど詐欺みたいに犯罪に巻き込まれてしまって、自分の正当性を証明できずに百万くらいの借金を負わされてしまう。私には恋人がいるのに、と思っても、「さすがに百万は無理だわ」と彼は離れていく。

 

 

 

これまでに、親からの虐待や暴力を、愛情だと思おうとしたことが何度もあった。父親の理不尽なまでな横暴さに、母親は辟易しつつも、時々「あの人の怒り方はひどいけど、あなたたちを思って怒るのよ」と是としたことがある。父親は、よく狂人にしか思えないほどに怒り狂うけれど、それは私たち自身の方に原因がなくもなかったからだ。父の異常さを認めつつも、母自身、そう思わなければやっていけなかったのだと思う。

父は私を想って、つらく当たるのだと。私を愛しているから、本気の本気で怒り狂うのだと。幼い頃から何度も、自分に言い聞かせたおぼえがある。

 

愛情に飢えているので、父とはまるで違う温厚で優しい人を選んだ。なのに、わざわざそういう人を選んでおいて、自分から傷付けている? 彼が私のせいで傷付く時、私は内心で喜んでいないか。私を想うが故に傷付いてくれたと、心の奥底で笑ってはいないか。報復として、傷付いた分、いやそれ以上に、相手から傷付けられることを望んではいないか。意趣返しされることを目的に、相手をわざと傷付けていないか?

違う。こんなはずじゃなかった。ただしあわせになりたかった。一緒に笑っていられればそれでいいはずなのに。そういう人だから好きになったのに。

私の感受性が破綻している? 無意識でのことだと信じたいが、世間で言うところの愛情と、私の中の愛情の在り方がズレている?

まともな愛情を知らない奴が、他人様から愛情を求めること自体が、そもそもの間違いだったのか。傲慢はなはだしくも。

 

……いずれにしろ、私の感受性がズレているとしたら、それは正されなければならない。どんな病にも原因はあるが、病も含めて私自身だ。きちんと矯正する。たとえ骨を折ろうとも、心を砕こうとも。

拝啓・愛着障害の私へ

正式な診断はもらえていませんが、どーも愛着障害くさい。

自分を愛してくれる人がいないと自分に価値がないと思われる。

しかし、その『愛してくれる人』の定義が、むちゃくちゃ。ざっくり挙げると、『私のお願いを何でも叶えてくれて』『私がつらい時は必ず私に寄り添ってくれて』『二十四時間三百六十五日、年中無休でいつでも私を助けてくれる』など。

無理だわ。ふざけんな。こんなん、阿良々木くんだって過労死するぞ。

そして、恋人が自分を大切にしていないと少しでも感じた場合(※私の主観で)、自殺未遂や自傷行為に出る。愛情を試そうとする(いわゆる、試し行動)。結果、恋人はボロボロになる。

なんだこのモンスター。顔面が橋本環奈でも許されないぞ。

 

ここまで読んでいただけた方は、私の価値観が非常に歪んだものであるということがおわかりだろう。

歪んだ価値観を持つ私は、根底に『自分が生きていてもいいはずがない』『自分は誰にも愛されない、愛されるべきではない』という思考(願望)が根付いている。

背景にあるのは幼少期から続く毒親による虐待、モラハラ。過酷な環境に耐え抜くため、私は必死に毒親に適応しようとした。『自分は決してしあわせにはなれない、仕方ない』と思い込むことで、不幸をいなそうとした、不遇に慣れようとした。

 

毒親に適応した私は、二つの相反する願望を持つ様になった。それは『愛されたい』という人間としての貪欲な願いと、『愛されるべきではない』という歪んだ望みだ。

普段はともかく、精神的に不安定になると、後者の考えに逃げ込む。そうして、自分や周囲の人を傷付けることで、歪な望みを叶えようとする。

私はもう成人している。けれど、まだ毒親の影響が強く残っている。幼少期に親から不幸でいることを望まれたから(少なくとも私自身はそう受け取った)、それを忠実に叶えようと努力し続けている。

 

だが、本当は違うのだ。たとえ誰にもしあわせになることを望まれていないとしても、私はしあわせになっていい。私だけは、私が幸福になることを認めてあげなければならない。

 

不運と不幸はイコールじゃない。

親に恵まれなかった。今もつらい環境下にいる。

でも私を一番責めているのは私だ。私は、私から、私を解放してあげるべきだ。

そうでないと、自分自身だけではなく、私を慕ってくれる人たちも幸福になれない。あんまりに報われない。

 

私は今まで、しあわせになることがこわかった。さいわいから逃げていた。だって、幸福になれば、いつかは不幸が「今までのツケを払え」とばかりに借金取りの様にやってくる。

けれど、幸福だったことと、不幸には何の因果関係もない。不幸に襲われたって、それで何もかも消えたりしない。しあわせな思い出はきちんと残る。それを大事にして、また少しずつ明るい方を目指せばいい。

親も不幸も関係ない。私は因果関係をきちんと認めて、受け入れなければいけない。

子供の頃の私は、歪な価値観に染まらないと生きてこられなかった。でももう、親以外にも私を慕ってくれる人がいるので、こんな考え方は不要だ。

もう不幸でい続けようとしなくていいよ。自分の好きな様に生きていいよ。今まで、お疲れ様でした、ちっちゃな私。

 

 

 

……とはいえ、二十数年間続いた価値観を変えるのは難しい。人間はそう簡単に変えられない。

とりあえず少しずつ、無理のない範囲で頑張ろうと思う。自分を認められる様に。他者を幸福にできる私になるために。