遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

八つ目の子

本州の果てから東京に引っ越して来て1ヶ月が過ぎた。ここのところは、蜜月と寒冷期と倦怠期を1日に何回もころころ繰り返している様な気がする。ギャップが激しくて心が風邪をひきそう。ジェットコースターの様な日々。

ホルモンバランスが崩れているのか。あるいは単純に生きていくための人間強度が足りないのか。ここのところはしょっちゅうぴーぴー泣いている(あるいは泣きたくなっている)。

 

いつも、夕方になるとどこからか七つの子が聞こえてくる。

「お手て繋いで皆帰ろう カラスと一緒に帰りましょう」

これが毎日聞こえてくるのだが、時々悲しくなる。帰る家のない子だって世の中にはいる。そういう子たちはこの歌を聞いて悲しくはならないのか、と考えてしまう。

養護施設で育った母は、よその家の灯りを見る度に「ここは暖かそうなおうちでいいなぁ」と眩しく思ったそうだ。

そんな話を聞かされながら育ったから(そして私も帰る家のない大人だから)、七つの子を聞くと時々どうしようもなく物悲しくなってしまう。

 

同棲している恋人はゴールデンウイークに郷里に「帰る」らしい。家族の誕生日なんだそうだ。彼には帰る家がある。

一方で、私には帰る家などない。親はいるけど離婚しているし、仮に赴いたとしてもどちらも私をゲストとして扱うだろう。あくまでも私は部外者、異物なのだ。特に母は、私が3日以上滞在すれば煙たがるだろう(経済的に余裕がないので。貧すれば鈍するか)。

帰省の話を聞かされると、どうしても、帰れる相手と帰れない自分を比べてしまう。心細い。

でも行かないでなんて言えるはずもない。

私はこんなに何もかもが違う人と所帯を持てる様な人間なのだろうか。

 

わかってますよ、先生。私は私自身にしか救えない。

私の居場所は他の誰でもなく私が自分自身で作るしかなくて、それはとても大変なことで、出てしまったからには帰れなくて寄る辺なくて、今夜もぴーぴー泣いている。