遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

久しぶりに自殺の手順を頭の中で繰り返し反芻している。結局、現状自己の生きていてもいいと思う理由が他者への依存に変わっただけなので、それがなくなると「よし死ぬか~!」となってしまう程度に相変わらず駄目な人間だ。寿命が来い。

 

先日、家出をした友人が両親の離婚を知った。子供にはまったく知らせずに内々に離婚協定を済ませていたそうで、原因は数年前に発覚した夫の浮気だったそうだ。非常にショックを受けていた。

友人に同情するふりをしながら、私は内心で「それがどうした」と彼女を鼻で笑っていた。たかが離婚が何だよ、こっちは家庭不和とDVを第二の両親として育ったアダルトチルドレンガチ勢だ。

自分が愛されて生まれてきたかどうか自信がない。母親が酒に酔って漏らした、「あんたが生まれた一週間後には父さんは浮気してたんだ」という一言が思春期の頃からずっと変わらず自分の根底にある。

そもそも妊娠なんて、性交渉の時に避妊をするかどうかで決まる訳で、その判断が夫やまだ見ぬ我が子への愛情である可能性なんて限りなく低くないか? ただ一時の感情や快楽に流されることの方が多いのでは。特にうちの父の場合、母が頼んでも避妊してくれなかった可能性が充分にある。

母は私を産んだことをずっと後悔しているのではないか。私は望まれて生まれた子供ではないのかもしれない。

 

だからどうした。望まれなかった子供には、しあわせになる資格がないとでも? そんな人、世の中にごまんといるじゃないか。おまえはそういう人たちに同じことを言うのか。

 

誰かから承認されることによって幸福を得る物語を繰り返し書き続けてきた。いつか自分がそうなれればいいのに、と密かに願いながら。

不十分な愛情しか恵んでくれなかった両親を恨み続けるのも、「生まれてくるんじゃなかった」と自らの出生を呪いながら生きるのも、愛されたいと望むくせに時々恋人からの愛情が空恐ろしいのも、こうして落ち込む度に泣き言を書き連ねるのも。すべてひとえに、私という人間の惰弱さなのだ。度し難い。