遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

おまえに食わせるグラタンはねえ

うちの父は毒親だ。幼い頃に受けた仕打ちの数々を話すとそこそこ引かれる程度には毒だ。我が母に三行半を突きつけられてからはずいぶん大人しくなったが、酸素を吸って二酸化炭素と一緒にモラルハラスメントを吐く度し難さは残念ながら健在である。

 

先日のことである。私はネットで受けたデザインの仕事をこなしつつ、合間に家事をこなしていた。洗濯機を回して洗濯物を干し、浴槽を洗って風呂の湯をいれ、自腹で材料を買い、晩御飯を作り、使った調理器具や皿などを洗い物を片付けた。家事の大半は父がいつもやってくれているのだが、たまには自分がやって父の負担を減らそうとしたのだ。

全ての家事を終えた頃、仕事から父が帰ってきた。開口一番「腹減った」という父に私は手製のグラタンを出した。

無言で食べる父。「味薄くない?」などと尋ねても、返ってくるのは生返事。せっかく作ったのだから一言くらい「おいしい」と言ってもらいたかったが、これが父という人物なのだから仕方ない。そう言い聞かせて自分を慰めていると、父がおもむろにぼやいた。

バーナーで表面を炙れればいいんだけどなぁ」

これは父の口癖である。何かというとバーナーで炙りたいと言い出す。魚も、肉も、チーズ料理も、プロのコックよろしくバーナーで炙る調理法ができればいいのに、と。

が、「じゃあ買えば?」というと黙る。バーナーより優先順位が高いものはいくらでもある。端っからバーナーを買う気なんてないのだ(というかそもそも個人で買えるかどうか疑わしい)。

なのに、「バーナーがあれば」などと言い出す。愛娘の作った料理でもお構いなしに、「バーナーがあれば」などとぼやく。

何が不満なのだ。家に帰ったらあったかいご飯があって、すぐお風呂に入れて、家事もしなくてもよくて、あとは寝るだけ。なのに何が不服だと言うのだ!?

いや、ちょっとたまに家事をしたくらいで功を誇るのはおかしいかもしれない。けれどなぜ、味に問題のない料理を出して、褒めるどころか「バーナーで炙ったらいいのに」などと言われなければならないのか。愛娘の手料理にプロの仕事を求めるのか。そんなんだから離婚されたまま恋人のひとりもできやしないんだよバーバーカ!!!!!!

ふざけるな。バーナーを手に入れたら真っ先におまえの顔面を焼いてやる。絶対にだ。

 

 

 

……とまぁ、そんな訳で、ここしばらくは家事をしていない。

毎日、ひとりでパンケーキを食べ、焼き肉を食べ、ニラ玉を食べ、手羽先を食べる。好きなものを独り占めにして食べると、食費が少なくてよい。

父のこういうところは前から承知していたが、今回のことで本当にほとほとイヤになった。何がイヤって、照れ隠しでも何でもなく、本気で「バーナーがあればなぁ」と思っていることだ。そりゃあ道具があるなら最善を尽くすが、バーナーなんか家にはないのだ。そもそも、毎日食べる晩飯に一流のレベルを求めるな。バーナーで焼いてくれる料理店なんか、プロの中でもほんの一握りなのだから。

某芸人よろしく、おまえに食わせるタンメンは、いやタンメンどころか犬の餌だってねえ! という心境だ。もう何も食うな。