遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

フィクションと現実を混同していた友達に笑顔で暴力を振るわれていた話

中学生の頃、あーちゃんという子とよく一緒にいた。

当時の私はいじめられていて、友達なんて一人もいなかった。学年全体が敵で、親すら「いじめっ子と戦え」と言うばかりで、この世界には私を嫌いな人しかいないと本気で思っていた。

そんな中、人目を憚りながらも声をかけてくれたり、本の世界に逃げ込みたがる私を心配して教室から連れ出してくれたり、何かと彼女なりに気遣ってくれたのと思う。救われたことも何度かあった気がする。

 

でも私は彼女に暴力を振るわれていた。比喩でなく本当に。デートDVなんて言葉があるけど、フレンドDVと言えるかな? 私のせいで腹が立つと、地面にうずくまりたくなるほど痛いアッパーを何度も食らった。教室から連れ出される時は毎回無理やりで、時には暴力で脅されたこともあった。

イタかった。二重の意味で。思春期のあーちゃんはフィクションと現実を見事に混同していた。コメディ漫画よろしく、私の冗談や天然ボケのせいで腹を立てると、彼女は私を殴り、「何か言った?」と微笑むのだ。それが毎日なのだ。本当にイタかった。アニメキャラの口調を真似たり、オレ女やボクっ子になってみるより、ずっとイタい。

 

が、不幸にもいじめによって友人関係に関する常識がバグっていた当時の私は、彼女を突き放し切れなかった。私もフィクションと漫画を少々混同していたせいもあるかもしれない。友人なんてこんなものだろ、と思い込んでしまっていた。

 

「親友だよね?」と何度も訊かれた。私は頷けなかった。言葉にできないながらも違和感をおぼえていて、頷く気になれなかった。

当然だ。どんな理由があれ、日常的にぶん殴ってくる奴を友達と呼びたくはない。

 

当時のことを思い返すと、今でもつらい。かさぶたを剥がして鋭い刃物で傷口をぐちゃぐちゃとかき回す様に、心が痛む。いじめられていたことも、友達を自称する女に暴力を振るわれていたことも、どっちも本当につらい記憶だ。

でも、どうせあーちゃんは私に何をしたかけろっと忘れて生きているのだろう。私も今はいろんな過去から前を向いて生きていこうとしているところなので、復讐なんてして自分の人生を無茶苦茶にするつもりはない。

だが、せめて、彼女がかつて私にどんなことをしたのか、どんな人間だったのかを書き記すくらい、別にいいだろ。彼女が結婚して子供を産んで昔の自分のイタさを忘れていても、私が気持ちの整理を付けて忘れてしまっても、ここに書いておけばしばらくこの世に残る。

おまえのしたことは消えないぞ。

 

この記事は自分なりのけじめとして書いた。

余談だが、この暴力女のあーちゃん(当時)は、未成熟な道徳観念と思春期特有のフィクションへの憧れが結実した結果の不幸だと私は思う。たとえ漫画どころか娯楽がない世界でも、彼女は意識的あるいは無意識的にスクールカースト最下位の私をイタい笑顔で殴っただろう(だってフィクションに影響されて友達を笑顔で殴るなんて普通あり得ないだろ)。暴力的な表現よりも、こういう道徳観念・社会通念が未成熟な人間の方をもっと規制して欲しいと私は思うが、いかがか。