遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

愛を囁いたその口で嘘を重ねて生きるんだ

君に届けを読みながら泣いた。泣いて思ったこと。

 

使い捨ての人間関係は楽だ。職を転々としたり、出先で知らない人に声かけて仲良くなってみたり、Twitterのフォロワーだったり。嫌なことがあったら逃げればいい。孤独を癒せる、傷付かなくて済む。親からは逃げられないけど、友達や恋人は選びたかった。

そんなだからか、恋愛も、長続きした試しはなかった。最長9ヶ月。

今の恋人とは半年。結婚したいと言いつつも、何度もすれ違いがあって、その度に別れようと思ってきた。

でもまだ別れてない。別れた方が悩まずに済むのに。疲れるのに。

これまでの私は、甘くて一番おいしいところだけをつまみ食いするのが恋愛だと思ってたのかもしれない。険悪になればすぐ限界だと思い込む。

でも恋愛って、コミュニケーションだ。人間と人間との繋がりだ。心も体も繋がるために、ひとつずつ段階を踏んでいって、その度にいろいろすれ違いがある。当たり前だ。人と人なんだから。別々の人間同士が、お互いに踏み込もうとするんだから。

 

最近恋人と少し話せる様になったが、以前より少し冷たい気がする。さみしいけど、調子が悪いと言っていたからまぁ当然だろう。微妙な関係だし。

だけど、三週間前までは調子悪い時でも私を甘やかしてくれた。私が甘ったれなばっかりにこれまで無理をさせてたのか、と思うと愕然とする。断崖絶壁に立ってるみたいに足下が不安で、心許ない。

もしあの優しさが献身だったのなら。前みたいに優しくしてもらいたいと思うのは私のエゴが過ぎる。どっちかが背伸びをしなければやっていけない関係なら、長続きはしないだろう。一緒にいることで補完し合える関係になりたいのに。

うつは治らない。不定期にやってくる。十代の頃からの付き合いで、通院歴は四年以上だ。現状、寛解はほぼ無理だと思う。そうじゃなくたって、生理の前後には精神的に不安になる。

情緒不安定になったり、認知が歪めば、周りに当たることもある。私が唯一甘えを出せるのは親や友人たちではなく恋人だけだ。

「もう振り回さないでくれ」と言われて、努力すると約束した。でも、先々月まで自殺志願者で未だに希死念慮の強い私が、その約束を守れるだろうか?うつ病の私じゃダメなんじゃないか?健常者の女の子なら、きっと……

言行一致ってすごく難しい。今年の上半期、ずっと「君を支えたい」と言い続けてくれた恋人と、私に影響されてうつをぶり返して苦しんで「もう振り回さないでくれ」と責め立てた恋人は同一人物だ。

付き合い始めの頃、桜の写真を見ながら、『いつか一緒に見ようね』と約束した日が懐かしい。私はあの春に死ぬべきだったのかもしれない。メンヘラの私じゃ彼をしあわせにできないだろうから。