遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

人間はカルネアデスの船になれるのか

今の恋人と付き合い始めて来月で半年になる。

理想の恋人について訊かれた時、私は「古代バビロニア語で話をしてもとにかくちゃんと聴こうとしてくれる人」と答えてきた。私の身近には聞き上手があまりいなかったので、そういう人に飢えていた。知らないことでも、興味ない話題でも、いい加減に流さずにちゃんと聴いてくれる人に出会いたかった。

今の恋人は私が何を喋ってもおおむね聞いてくれるのでこれは夢が叶ったということなんだと思う。私が家族の愚痴やスーパー戦隊の魅力や任天堂の歴史や昨今の邦画事情について話しても、「君は話し上手だね」「サラちゃんの話面白い」などと言ってくれる。これなら唯一神が再び世界中の人々の言語をバラバラにしても、恋人だけは私の言葉を必死に聴こうとしてくれるかもしれない。凄まじい。

 

そんな感じで、恋人は私に執心するものの基本的には「サラちゃんなら何でもいい」というスタンスだ。たとえばスカートとパンツだったらどちらがいいかと訊いても「かわいければどっちでもいいよ」だし、眼鏡か裸眼か訊ねても「君はかわいいからどっちでもいいよ」だし、ショートヘアかロングヘアか尋ねても「サラちゃんは何でも似合うでしょ」だし。結局「私なら何でもいい」という回答になる。

ここでアイデンティティの問題が生じる。果たして「私」はどこまで「私」なのか? 仮に、私が髪や顔や腕など少しずつ整形していって、最終的に外見が元の私とは似ても似つかぬ別人になったとしても、恋人はさして気にしないのではなかろうか。逆に、私とは似ても似つかぬ別人をどんどん私に似せて整形していって、催眠やら何やらで私と非常に似た外見・人格になった時、恋人はそれでも私を選ぶだろうか?

題して、カルネアデスの恋人問題。TBSのモニタリングとかでこんな実験やってたら見たくないですか?私は見たくないです。