遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

命に嫌われている

体重が七キロ減った。元々60キロくらいあった寸胴体型に僅かなくびれが復活して一安心している。バストも一緒に落ちた気がするが元々それなりにある方なので別に気にしていない。

このまま40キロ代にまで落としたいが、食事制限だけでは厳しそう。基礎代謝が落ちつつあるので上げるためにも運動しないといけないが、外に出ると車道に突っ込んで車に轢かれたいという誘惑をおぼえてしまうので少し難しい。難儀よのう。

 

発達障害のフォロワーが入院することになりそうだ。この前自殺未遂に及んだことが発覚し、心配された親御さんに入院を勧められた。本人は「治る見込みもないのにこれ以上親にお金を使わせたくない、申し訳がない」と嫌がっている。反出生主義者の私としては「別に生んでくれって頼んだおぼえもないのに勝手に生んで生存競争させられてるんだから親がそれくらいするのは当たり前、金なんかいくらでも払わせとけばいいのに」と思うがそうもいかないらしい。ままならない。

ある反出生主義者は「子供を生むということはその子が不幸になるかもしれない可能性を黙認することだ」と語っていた。私はそこまでは思わないが、まぁこの国じゃ勝手に生んでおいて「生んでくれて、育ててくれて、ありがとう」と言わせたがる風潮があるので度し難いよな。生むのは完全に親のエゴで、養育はそのエゴに対して生じた当然の責任、生んだからには子供を二十年間養うのは当たり前のこと。本来なら感謝する筋合いなんかまったくない。むしろ生まれてきてしまったがばっかりに生存競争に巻き込まれて頑張らなきゃいけなくなったこっちの迷惑を考えて欲しい。みんなもっとふてぶてしく生きればいいのに。

 

私が親しくしているフォロワーはみんな死にそうな人ばかりだ。メンヘラ同士で集まった訳ではなく、気がついたらいつの間にかみんな病んでいた。中には既に亡くなった人もいる。

どいつもこいつもとても愛おしいのに、私にしてあげられることは非常に少ない。私には誰も救えない。

「自殺なんて駄目だよ」言えるはずがない。私には死にたいほどつらいという気持ちがわかってしまう。

自殺未遂をするほど追い詰められている人は大抵死にたくて死にたがっている訳ではなく、早く楽になりたいだけなのだ。自殺以外に画期的な解決方法があれば彼らはとっくにそれを実行しているだろう。彼らは大抵、通院や投薬治療やカウンセリングなどを受けていて、それでも救われなくて喘いでいる。汚濁の中を潜り続ける様な、光の見えない息苦しい日々を送っている。

「自殺なんて駄目だよ」「じゃあ私を助けてよ」こう凄まれては返す言葉などない。何の力にもなれない私が自殺を否定する資格はない。ただ「死なないで欲しい」と哀願するしかない。願いを込めて、「生きてても死んじゃっても変わらず君が好きだよ」と伝えるしか。

友達が死んでしまうと、その子の話ができる友達が永遠に増えなくなるのがただひたすらに悲しい。