遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

傘を持つことをおぼえた

数週間前に傘を買った。白と黒のドット模様がかわいい細身の婦人用の傘である。前に使っていたものは病院に置き忘れてそのままで、我が家には傘が一本もなかったのだ。

 

だいたい、私は傘を持つのが好きではない。元々手のひらに何かを持って歩くのが嫌い(トートバッグとか苦手)だ。

傘なんて尚更のこと。持っていたらかさばるし、走りにくいし、出先で忘れてきたりする。折り畳みはどう広げたり畳んだりすればいいのか未だにわからない。

第一、雨の日ってだけで割とアンニュイな気分になりがちなのに、この上なぜ傘なんて邪魔くさいものを持って歩き回らなければならないのか。

「英国紳士は小雨くらいなら傘を差さないそうじゃないか!」

そう言い聞かせて、私は多少の雨なら傘を持たずに出かけてしまっていた。その風体はジェントルマンどころか原始人以下である。

 

けれども、もうそんな原始人以下の生活とはおさらばだ。

私は傘を買ったのだから!

実際、傘を持つ煩わしさを引き換えにしても、雨に濡れないというのは心地がよい。不愉快な思いをせずに済む。

アラサー目前にして、ようやっと私は傘の利便性を認めたのだ。

 

昨日も雨だったが、私はちゃんと傘を差して歩いていた。郵便局からの帰りだった。

路肩にタクシーが停まっているのが見えた。いつまでも動かないから、きっと料金精算の最中なんだろうと思った。

私は近付いてそれとなく中を伺った。座席にはまだお客さんがいた。

私はドアの前でじっと待った。そしてドアが開くと、迷わず傘をドアの上へ傾けた。中から降りてくるお客さんが濡れない様に。

お客さんは五十代くらいの品のいいご婦人だった。彼女は突然現れて傘を差し向ける私に驚いた様子だった(無理もない)。

「せっかく降りてくるのに濡れたらいけないでしょう」

「あらまあ、すみませんねえ」

「いえいえ、たまたま通りかかったので」

何なら玄関先まで送り届けようかと思ったが(どうせタクシーから降りてきたのだから家はすぐ近くだろう)、ご婦人は折り畳み傘を取り出して開いた。

「ありがとうございます」

「お気をつけて」

お互いにそんな会話をして別れた。お節介を焼いたせいで少し濡れたが、気分がよかった。いつもの余計なお世話というものだけれど、優しそうなご婦人に受け入れてもらえて嬉しかった。若い人だったら迷惑そうに顔をしかめられていたかもしれない。

ご婦人と別れて歩いていると、先ほどのタクシーに追い抜かれた。私を追い抜く時、水たまりの水を跳ね上げない様に一瞬タクシーのスピードが緩まった。

ドライバーとしてのマナーか、お客さんにお節介を焼いた私への気遣いかはわからないけれども。

傘って悪くないもんだなあ。