遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

生きるとはゆるされること

生きるとはゆるされること梔子の枯れゆくようにわれは病みたり/江戸雪

 

昨日コンサータをキメたせいで興奮状態になっている。ロゼレムを飲んでも眠れない。極度の不安と恐怖に駆られている。声に出してポジティブなことを自分に言い聞かせるが、どうしようもない。冬はパニック発作を起こしやすいので注意が必要だ。

コンサータのおかげで作業は進んだ。恋人がずっと構ってくれて、進数とbitとカラーコードの秘密について教えてくれた。不安な時はずっと励ましてくれた。いい1日だったはずだ。

なのにどうしてこんなにも不安なんだろう。

 

生に承認を求めている。だらだらと生きて、生きてさえいれば、いつか誰かが私の人生に『可』という判子を押してくれるんじゃないかと期待して。

実際、認めてくれる人は現れたけど、だからといって私は何も変わっちゃいない。そりゃそうだ。神様でもない一人の人間が、誰かの人生を肯定したり否定したりできる訳がない。誰にもそんな資格はない。誰に否定されようが嫌われようが、人は生きるしかないんだ。わかっているけど、自信がない。どうにも不安で仕方ない。

自分は生きていてもいいんだろうか。自己肯定感ってどこから来るんだろう。

結局、私の人生に『不可』の判子を押しているのは私自身なんだ。誰よりも、私が私を認めていない。どうしたもんだか。