遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

生きるとはゆるされること

生きるとはゆるされること梔子の枯れゆくようにわれは病みたり/江戸雪

 

昨日コンサータをキメたせいで興奮状態になっている。ロゼレムを飲んでも眠れない。極度の不安と恐怖に駆られている。声に出してポジティブなことを自分に言い聞かせるが、どうしようもない。冬はパニック発作を起こしやすいので注意が必要だ。

コンサータのおかげで作業は進んだ。恋人がずっと構ってくれて、進数とbitとカラーコードの秘密について教えてくれた。不安な時はずっと励ましてくれた。いい1日だったはずだ。

なのにどうしてこんなにも不安なんだろう。

 

生に承認を求めている。だらだらと生きて、生きてさえいれば、いつか誰かが私の人生に『可』という判子を押してくれるんじゃないかと期待して。

実際、認めてくれる人は現れたけど、だからといって私は何も変わっちゃいない。そりゃそうだ。神様でもない一人の人間が、誰かの人生を肯定したり否定したりできる訳がない。誰にもそんな資格はない。誰に否定されようが嫌われようが、人は生きるしかないんだ。わかっているけど、自信がない。どうにも不安で仕方ない。

自分は生きていてもいいんだろうか。自己肯定感ってどこから来るんだろう。

結局、私の人生に『不可』の判子を押しているのは私自身なんだ。誰よりも、私が私を認めていない。どうしたもんだか。

血まみれフィンガー

爪を噛む癖が直らない。小学校五年生だったか、なんとなくでやり始めたらやめられなくなり、この年まで来てしまった。女性の恋人はいないのにいつも深爪だ。

爪を噛むだけならまだしも、指の皮を剥がす癖まであるからなお悪い。ひどい時はやりすぎてうっかり血がにじむし、出血するとわかっていても剥いてしまうし、血が出ているのに痛みに絶え絶え気が済むまでいじってしまう。一度、それが原因で親指の傷口が薄緑色に化膿して焦った。病院に行かずに何とか自然に治癒したが、それでも未だに悪癖は直らない。

小さな自傷癖。リストカットに比べればかわいいものだが。直したいけど直らない。

元気をください

我が輩はPMSモンスターである。恋人からはプチゴジラと呼ばれている。

 

血が足りないのかそれともホルモンバランスの影響か、とにもかくにも具合が悪い。むしゃくしゃする。恋人が暇な時は構ってもらうことで気が晴れていたが、用事があって出かけて行ってからはもう感情の捌け口がなくなって、とにかく絶叫するしかない。誰もいない部屋で野太い咆哮をあげる。ガチで怪獣じゃん。

おそらく明日もこんな感じだろうが、生憎恋人は朝から夕方近くまで外出だ。ただでさえしんどいのに愚痴を吐ける相手すらいなくなると思うと気が狂いそうだ。

こんな状態でも容赦なく締切は迫り来る。つら。しかしいくら頭を捻ってもいいデザインが浮かばない。クライアントには適当なメールを送っておいて、安定剤を口に放り込み、このブログを書いている。死にたいってか死にそう(気分的に)。なんか若干貧血気味な気がする。

元気をください。せめてタイトルロゴ作りたいんです。パソコンの前に座り続けるだけの元気をください。二時間くらいでいいんです。作業する力をください…作業したいんです…

 

つかれた。

恋人がAmazonGoogleタブレットを欲しがる時、私は父に風呂の湯を半分にしろと怒られている。

友達から十万円のローンを組んで最新のiPhoneを買った話を聞かされる時、私は電気代の催促状を見つけて見ないふりをしている。

ねえ神様。どうして私は友達や恋人と住む世界が違うの。みんなだってそれほど豊かな暮らしをしている訳じゃないだろうに、少なくとも私は電気やガスや水道を止められそうになりながら父に怯えて暮らしている。どうして私だけが。

「自殺しないでほしい」「君に死なれると悲しい」「きっと何とかなるよ」

じゃあ何とかしてみろよ。あたしに欲しいものや買ったものについて嬉々として話すくせに。高額なiPhoneiPadを使って生活困窮者を慰めるのはさぞ愉快で痛快だろう。

おまえら何もわかっちゃいないな。

死にたくなんかない。助かりたい。でも状況に死ねと言われてる。だから死ぬ。

 

轢いちゃえよ、電車

こじあけてみたらからっぽだったわれ 飛び散らないから轢いちゃえよ電車

岡崎裕美子

 

 

 

朝からわんわん声を出して泣いている。そろそろ子供の起き出す時間だから気まずいけど近所の噂になろうが知ったこっちゃない。

御利益があると噂の神社や寺へお参りをして祈願したものの、ついぞ石油王も英雄王も白馬の王子様も優しいママも現れなかった。いや、そんな非現実的な出逢いじゃなくても、宝くじや馬券が三十万円くらい当たるとか、小金持ちの足長おじさんが助けてくれるとか、その程度の奇跡でよかった。まぁ無理だった。

わかっていた。「自殺は良くない」「あなたが死んだら悲しい」そう言う奴らは掃いて捨てるほどいるけど、どいつもこいつも自分の生活を捨ててまで助けてくれる訳じゃない。金言なんて熟語があるけど、言葉は金じゃない、金じゃないから、どんな台詞も惜しむことなく言えるよな。

私を案ずるあいつは親から百万円の生命保険がかけられている。PS4を持っていて、ソシャゲに十万円以上課金している。最新式のiPhoneを持っている。

そういう連中から「死なないで」「何とかなるよ」と言われる時、私はどんなに惨めだろう、滑稽だろう。

親からの支援を受けられて、就業ができて、まぁそれなりに生活できる程度のお金があって。そりゃ「死なないで」いいし、「何とかかるよ」な。おまえらなら。

よかったな。惨めじゃなくて。

ローンを組んで購入した十万円のiPhoneiPad越しに励まされる様な、そんな残念な人生でした。

おまえに何がわかる。

こんな惨めな思いをするために生まれてきたんじゃない。

死んでやる。今度こそ死んでやる。

親も友達も恋人も医療機関も行政も、誰一人本気で私を生かそうとしなかった。誰一人本気で私を愛しちゃいなかった。その証明として自殺します。

年内の決行を目指す。

人間強度

夜な夜な胃炎に悩まされながら泣いている。

 

人間強度が足りない。ちょっとしたことですぐ心が折れる

死にたい。このまま薬を飲まずに病院にも通わずにカウンセリングも受けずに自然に任せていたら死ねるだろうか。

 

生理が遅れてて不安で、胃が痛くて気が弱り、胃炎のために好きなものを食べられず、ずっと締切に追われていて、スマホ代を払うためのお金すらなくて、しんどい。早く死にたい。

 

生きてたっていいことがない。あったって、すぐに苛烈な現実にぶん殴られて、夢から覚めた様な気分になる。だったら最初から泥の中にいた方がマシだろう。

誰も(私自身も含めて)私を楽にしてはくれないのだから自分の命くらい好きにさせてほしい。

疲れた。早く楽になりたい。田舎町には十階建ての建物がないから残念だ。

ロストワンの傍白

父親の機嫌が悪い。リビングで何かと声を荒げる。数日ぶりに風呂をいれたのだが、それを見た父親は「もったいない」とひとりで怒っていた(私は風呂の湯をなみなみといれるのが好きなのだ)。数日ぶりの風呂なので許して欲しいんだけどなあ。

数年前まで、我が家において父親の機嫌は命取りだった。部屋がニンニク臭いというだけで隣家に響くほどの大声で怒鳴り散らす。近所から何度か苦情が来たこともあった。母親は、昔、父親を怒らせた時にゴルフクラブを投擲されたらしい。手を挙げると警察や児相沙汰になるのでやらない悪質犯。とんでもない暴力男だ。

今でこそ面と向かって怒鳴られなくなったが、父親の顔を伺うのが私の昔からの習慣となっており、父親の機嫌が悪いと生きた心地がしない。もし少しでも父親の意に従う気がないと見なされれば力ずくで脅されていたので(目の前で携帯ゲーム機を壊される、ランドセルを壊される、泣いて失禁しても怒鳴られ続けるなど枚挙に暇がない)、父親の怒りを無視するという選択肢は私にないのだ。

父の激怒はイヤイヤ期の幼児が駄々をこねるのと本質的には変わりない。が、大の男が本気で駄々をこねて怒れば家庭は焦土と化すし、子供は命惜しさに服従せざるを得ない。他の家族は父のことをゴジラと呼んでいた(そして最近では恋人もこの徒名を用いる様になった)。

この場からいなくなりたい。いなくなればビクビクせずに済むから。そう、私はビクビクするのが嫌なのだ。自殺は毒親から解放されるための(手軽で安易な)手段でもある。

早くいなくなりたい。

 

虐待を受けた人は、虐待を受けていない人に比べて、脳のある部分が収縮しているらしい。ダメージを受けた脳は後にリカバリーできるのだろうか(脳機能は28歳まで成長できるらしいからワンチャンあるか)。

カウンセラーには「つらかったろうけど、過去は過去だよ」と言われている。が、私の中で虐待されていたことはまだ過去になっていない。つらいことがある度に、虐待されていたことを思い返して、更に傷付く、悲しむ、親を恨む。治りかけのかさぶたを剥がす様な行為だとわかっていてもやめられない。

 

自分のことを、不運でも不幸じゃないと思いたい。不幸じゃないと思える様になりたい。可哀想がる・可哀想ぶるのをやめたい。

全部過去になればいい。早く。

家族に絶望しているので、絶縁したい。どこか遠いところへ行って、好きな人たちを家族にして、細々と暮らしたい。