遺書

このブログは私の遺書だ。みんな……遺書を残すものなんだろう?

いちごジャムになりたい。

土曜日からずっと、枕元に包丁を置いている。私が午前二時に担ぐのは望遠鏡ではなく包丁だ。会えない彼女を想った名曲も、メンヘラの手にかかれば物騒なものとなる。ごめん、藤くん。

彼氏を寝かしつけた後で夜な夜な泣いている。元気じゃなきゃ恋人と話せないので(うつが伝播するから)、逆説的に私は元気でいなければならない。

誰かに性的に乱暴された場合、された直後よりも翌日以降にじわじわしんどくなる。他の人は知らないけど少なくとも私の場合は。

出勤するのがこわい。また服の中に手を突っ込まれるのではないかと思うともう仕事に行きたくない。でもきっと同僚やママに相談しても「それくらい」と鼻で笑われる。六十万するヴィトンのバッグのためなら客と寝る人たちだから。

お客相手だから嫌がれない。抵抗ができない。場が白けて酒がまずくならない様に、私はバカのふりをして笑ってなくちゃいけない。それが一番しんどい。

今月初旬から度々、飛び降り自殺やリストカットで自殺する自分を空想する様になった。勇気を出して十階建てのマンションかビルから飛び降りたら、きっとこんな因果な商売から足を洗える。私は綺麗ないちごジャムになれるだろうか。この田舎には十階建ての建物はないんだけど。

 

迷妄中

ここのところ二週間くらい胃が痛い日が度々ある。食欲不振。恋人に手料理を送って、自分はコンビニのメロンパンをかじっていたりする。まぁ何か食べられるだけでもマシなんだけれど(最近は食欲がなくて薬と酒が主食だったりするから)。

愛する人がいるのに好きでもない男に媚びる業務を始めて一ヶ月。嫌気がさしつつあるものの、他にできる仕事がない。この前は行儀の悪いスケベ親父に下着の中まで手を突っ込まれて乳頭を触られた。そういう行儀の悪いクソ野郎は確かにたまにいるが、久々にあれはびっくりした。

自分を見失い、精神の病みをますます悪化させ、この前初めて店を休んだ。友達には店を変われとアドバイスされるが、送迎付きの店の求人が他に一件しかないのだから仕方ない。いやだって田舎なんだもの。まったくろくでもない。

 

彼氏に構ってもらえない間は客に営業のLINEを打って過ごす。どいつもこいつも、恋人がいない時なら好きになっていたかもしれないけど、今はただただ気持ちが悪い。早くこんな悪行から足を洗いたい。

 

友達に自分の境遇を話しても共感を得られない。「ゆーて日本なんだから生活保護とかおりるし生きていけるでしょ」でおしまい。確かに私が悲観的過ぎるのだろうけれど、そこまで楽観的にもなれんのだよ。頼むからその台詞は相棒season9の「ボーダーライン」を見てから言ってくれ。

そういうあたしも他人の不幸がわからない。親から虐待されず、好きなことを仕事にするために大学まで出て、自分のオリジナルキャラクターが商品化までされた友人が、死を仄めかすLINEを寄越す。何が不幸って、ほんと絶対的でも相対的なものでもなくて、当人によるんだろうなぁ。

彼氏は「就職するのが怖い。生意気って嫌われそう」と言うし。うん、あんたあたしと付き合ってる時点で相当な人格者だから自信持とうね。就職したってエロ親父に乳首まさぐられたり、ケツを掘られる訳じゃないんで大丈夫ですよ。そういう問題でもないか。

 

時給1500円でスカートをめくられたり、ブラトップの中に手を突っ込まれたり、散々な日々です。この前FGOでガチャ十連回したらメイヴ女王が来ました。だからって採算とれてる気はしませんが、まぁなんとかやっていきましょう。

夜中の三時が朝になった時、君はきっと仕事を休むだろう

副題

自身の恋愛とクリープハイプの曲を重ね合わせて聴いてはいけない。

 

現実がハードモードなので、二次元への逃避を始めている。この頃はFGOでチェイテピラミッド姫路城の周回に明け暮れる日々だ。神酒が来たので、ノッブのスキルがガンガン上がる。次はぜひ魔術髄液のイベントください。あと結氷とオーロラ。いやほんとお願いします。

現実はハードモードだ。頑張っているはずなのに、それでもなかなか上手くいかない。

けれどもゲームなら、手をかけた分だけ、キャラクターは確実に強く美しくなっていく。成長した新たな姿(新規グラフィック)を見せてくれる。FGOやっててよかった。現実がハードモードでも、私のカルデアのノッブは今日もハチャメチャに元気だ。ありがとうノッブ。ありがとうFGO

 

 

 

ここのところ、女性ホルモンの影響で鬱だ。アルプラゾラムを一日に二錠ずつ飲んでいるが、一向に聞かない。

マイスリーを飲んで効き始めた今この瞬間が、一番安らかな気持ちだ。頭がぼーっとする。

自分の望む、幸福な未来を想像する。夢を見る様に。難しいことは考えず、純粋に、夢想する。

恋人と一緒に暮らす。ほぼ日でおいしいご飯を作ってあげる。ベランダでバジルとか育てて料理したい。食べさせてあげたいものがたくさんある。日曜日には一緒にベッドでだらだらしながらスーパー戦隊を見る。また水族館でデートしよう。技術系の同人誌出すなら手伝ってあげるからね。お揃いのリング買おうね。できることなら、生理前と生理中は辛抱強く優しくしてくれると嬉しいなぁ。鬱の治療頑張ろうね。誕生日にはお鍋か何かでお祝いしようね。

そうなればいいのに。そういう現実を作れちゃったらいいのに。

頑張る。今日も頑張ろう。

メランコリィ・キッチン

ここ数日悩まされていた胃痛が胃薬のおかげで緩和してきた。相変わらず生理痛がひどいが、鎮痛剤を服用して何とか過ごしている。不安定な精神には抗不安剤。眠れぬ夜には睡眠薬。もはや薬が主食である。

土曜からひどい胃痛で、何も食べられなかったのだ。粥を作ってくれる人もいないので、自分で雑穀粥や鶏粥を作り、少しずつ食べていた。食事の量より薬の方が多いという有り様であった。最近、ようやく普通の食事ができる様になった。ビバ・西洋医学、人類の英知。

 

カウンセリングに行った。カウンセラーから、「生理のない男性に、PMDDのことを受け止めて受け入れてって言うのは無理かもしれない」と言われた。私だって恋人のことを傷付けたい訳じゃないんだけどなあ。ほんとはいつでも優しく接して、おいしいもの食べさせて、元気にしてあげたいのになあ。

とりあえずカウンセラーには、「恋人は、私を受け止められない時にははっきり『無理』と言うこと」「私は、不安定な時には恋人じゃなくてまず友達と話して冷静になる間を作ること」の二点を言われた。

手帳については、次回診断書をもらえるらしい。これで駄目なら転院するし、申請してもそれが落ち着き次第、転院する。そして新たな主治医にPMDDの相談もする。

同じことを繰り返している様だけれど、少しずつ前へ進んでいるのだと思う。

以前と違って、友達に相談できる様になった。友達は「いつでも連絡ちょうだい」と言ってくれる。そう言ってくれる友達がいることは私にとって得難い僥倖に違いない。『友達に頼ってもいいんだ』と思える様になっている。これは大きな変化であるはずだ。

愛知にいた姉御肌のTちゃんが年明けまでこちらにいるらしい。自殺相談センターに電話しても繋がらなくてべそをかいていたのに、Tちゃんと話したらしまいには笑える様になっていた。Tちゃんと話すと元気になる。

今度Tちゃんたちとご飯行くことになった。大好きな友達に会えるのはとても嬉しい。

いつも相談に乗ってくれるTちゃんのために、レンコンのきんぴらを作ろうと思う。ここ数日は料理をする気力がなくて沈んでおり、食材を腐らせてしまった。元気になったらまた料理をしよう。

 

 

 

神様、仏様

一時に帰宅してから一睡もできずに、朝から雑穀粥を炊いている。お腹が痛い。

胃痛がひどくて、どうしようもない。しんどい。食事をすれば少しはマシになるかと、粥を煮ている。

客に勧められて酒を飲んだのが良くなかった。胃薬はもう我が家にはない。胃薬を買う金もない(スマホ料金払わねば)。

眠いのに眠れない。生きてるだけでイライラする。

胃薬が欲しい。眠い。既に軽く死にたい。誰か助けて。

いつかは夜は毎日お家にいて、小さな心配もかけないでいたい

貯金のために、夜の仕事で働いている。ママは優しいし、先輩方も非常によく気遣ってくれる。相変わらずクソ客も多いが、今のところ上手くやってると思う。

ただ、やはりそういう飲み屋だから、客にしつこく迫られたり勝手に触られることもある。慣れてるから苦ではないはずなのに、恋人に対して不誠実を働いた気がして夜明け前に帰ってきて泣いた。すごく嫌だったから、そのことを冗談っぽく恋人に話したら、軽くキレられた。

「俺が東京にいるからって、君が他の男に食べられちゃいました~って言ってきても我慢しろっていうの?」

怒りはもっともだと思う。私だって自分の恋人をいやらしい手に触らせたくない。でも、この発言は私の操を疑われているみたいで悲しかった。一緒に暮らすために手っ取り早く稼ぎたいなら夜の仕事しかないし、キャバ嬢にとっては触られるのもしつこく迫られるのも仕事のうちなのだ。私は客に勘違いをさせて、ボトルをいれさせて、とにかくありったけの金を搾り取らなきゃいけない。そうなると、顔も胸も尻も脚も唇も、全部ただの道具だ。「嫌だけど、汚れていくみたいで怖いけど、全部あんたのためなんだよ」って言うのは欺瞞かなぁ。

その後、話し合って彼は言葉を撤回してくれた。けれど、なんとなく仕事に行くのが嫌になった。店で働けば働くほど、恋人に嫌われそうでこわい。

仕事とはいえ、他人と不貞を働いたら私に価値はないんだろうか。彼へ気持ちを向けていても、無理やりそういうことをされたのだとしても、他の男に友達以上のことをされたら私は捨てられちゃうのかなぁ。

彼はどこまで許してくれるのだろう。私はとにかく稼がなきゃいけないのに。年末までに十万なんて貯められるのか。でもこれ以上離れ離れはもう嫌だ。

気がついたらデリヘルバイトのサイトを見ていた。本番なしなら体験入店だけやってみようかな、なんてぼんやり思いながら何とかサイトを閉じる。生理前だから思考がとにかくやばい。

五億円欲しいとか、石油王になりたいとかじゃなくて、ただ恋人と一緒に生活したいだけなのに。

恋人に嫌われない様に、こっそりと自分を切り売りする。自分をバラバラに刻んで、できるだけ高値で売りつける。こういう生き方しかできない人間を好きになった彼は可哀想だ。

感情教育

恋人と少し話し合った。「お互い立ち上がろうとして転んじゃうから、転ぶ前に自分から友人とかに頼れる様になろう。お互いの不調をお互いに把握できる様になろう」ということでまとまった。

 

けれど、この前言い合ったことについて、「人間関係は正しさだけじゃ回らないよね。あれじゃディベートだ。私は議論なんかしたくない。感情語を使って話した方がいいんじゃないかな」と言うと、彼は「前提として、君が俺を煽ったのおぼえてる?」「俺は理解しかねると思ったことに関して言い返しただけですよ」と反発(?)してきた。まさしく正論だったので、私は言い返せないまま、その話は終わった。

でもよくよく考えると、違う。そうじゃないはずだ。

あの時、彼は本当に『理解しかね』たから怒った訳じゃなくて、私にひどいことを言われて『傷付いた』から怒ったんだ。その根っこにあるのは、明らかに理性ではなく感情だ。なのに、そういう気持ちの話をせずに、理屈や正当性で話を進めようとするから、根っこの部分が捻れてしまうんじゃないの?

感情を話して欲しい。素直に「そういう風に言われるとむっとする」とか「そんなこと言われたら悲しい」って言って欲しい。相手から感情が出てこないから、思わず私も正論で張り合おうとしてしまう。結果、言えば言うほど頭に血が上ってしまい、彼も私も思いやりが欠けたまま、怒りをモチベーションに正論で殴り合うことになる。

 

正論は暴力だ。相手の反論をふさいでしまう。そして正論を振りかざす時、その人の中には十中八九「相手の反論を封じて一方的になじってやろう」という暴力性が潜んでいる。

疑うなら一度Twitterで政治的な話題について検索してみるといい。明らかにロジックとして欠陥がある言説を根拠に、互いに詰り合う悲しい人たちが君の目の前に現れることだろう。彼らの言うことには大抵かなりの矛盾があるが、それを指摘しても自分の非を認めることはまずない。そればかりかこちらを非難してくる。

「信念の価値は金銭に劣る。なぜなら、金銭の価値は万人に等しいが、信念はそれを信じている本人だけのものでしかないからだ」というのは、ヤン・ウェンリーの言葉だが。

そういう、頭でっかちというにも中途半端な連中は、十代の頃に死ぬほど見てきて正直辟易した。私が彼らから得た教訓は、とどのつまり人を動かすのは正しさではなく感情だということだ。彼らは論理で武装したつもりだろうが、結局その奥底にあるのは図星をつかれた際に生じる怒りや憎しみなんだと思う(でなければ自己矛盾を頑なに認めないその姿勢に説明がつかない)。

だから、正論を言う時はまず自分の内側にある感情を疑わなければいけないし、誰かと話をする時は感情をありのままに話すことが大切なのだ。感情的にならない人間なんて、まずそういるもんじゃないしさ。

 

Aqua Timezのボーカルが言っていた。「『顔も名前も性別も年齢も分からないダレカ』が仮に「人間」という模様を描いていたとして、その模様に共感する事ということがあり、『近くで見たら細かい部分は違うが、上空の遠い所から見れば似ている』。そして近づいてみれば違う部分は沢山あるので、分かり合えないという過程は必ず通る。だがそれでも人間は誰もが繋がりたいと思っているはず。」

この考えが私はとても好きだ。人間同士、人種や性別や宗教が違っても、どうしても譲れない信念があっても、根本にあるのは『誰かと分かり合いたい』という切実な願いであるはずだ。そう信じている。人間同士、わかりあえないことの方が多くても、相手が自分の気持ちに同調してもらえれば嬉しいのだ。

 

ましてや恋人同士。好き好んで傷付け合いたい訳じゃない。私だって相手の気持ちを理解して、寄り添いたい。でも気持ちを言ってくれなきゃわからない、寄り添えない。

会議じゃないし、議論じゃない。だから論理や正当性なんてどうでもいい。誰かを傷付けてまで共有すべき理屈なんてここにはないよ。わかちあうなら、正しさより楽しさがいい。

何に対して怒っているのか、悲しんでいるのか、傷付いたのか、そもそもなぜ傷付いているのか。

そういう、ごく当たり前に生ずる感情の話を、私はあの人の口から聞きたいのだ。